ウズベキスタン紀行6 サマルカンドその1

朝食後、サマルカンドの旧市街へ

 

青の都・サマルカンドの街は、「旧市街」「新市街」「アフラシャブの丘」の3エリアに分かれています。かつて東西文化の交流地であったサマルカンドの魅力を味わうには、やはり旧市街をじっくり観ることです。天と地の青、青のドーム、まさに青の競演が見事な美しい街でした。

新市街は、通勤ラッシュで、朝の道路は混んでいます。日本車は見かけず欧州車と韓国車がほとんど。

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シャーヒズインダ廟群

アフラシャブの丘にあるチムールゆかりの人々が眠る霊廟。圧巻です。入り口から階段をあがると羊の鳴き声。中庭では羊を囲んで礼拝が行われていました。

今も各地からの巡礼者が絶えない場所で、荘厳な建築群は中央アジア最大の名所です。

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アミール・ティムール(グル・アミール廟)

チムール一族が眠る霊廟。

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レキシントン広場

サマルカンドの象徴とも言える建物。

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ユニギルメロス・紙すき工場

サマルカンドはかつてイスラム最大の紙の生産地でした。このサマルカンドペーパーと呼呼ばれる上質な紙の製造は、この地方の伝統技術。1度は途絶えてしまった技術を後世に残すべく、ユネスコやJICA支援により水車を備えた工房で古来伝統製法を行い、技術保存につとめているのだそう。すばらしい紙質に驚きました。

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ウルグベク天文台

天才・天文学者ウルグベクの天文台。今日の精密機器で計測しても、誤差は1分もない。望遠鏡もなかった当時の技術でこれだけ正確に計測していたとは驚きです。

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結婚式の一団に遭遇。ウズベキスタン旅行中、他の町でも何回か見かけました。とても綺麗。こちらの初婚年齢は早い。女の子は16歳が適齢期らしい(驚)。従って新郎も、友人達も若い!晩婚化した日本とはえらい違いです。道行く人も観光客も皆が祝福する・・温かい結婚式がウズベクでは主流のようです。

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サマルカンド「ナン」

ウズベキスタン人の主食のパン「ナン」は地域によって随分、形も食感も違いました。噂どおり、サマルカンドのナンは、大きく厚みもあり美味。アポ無しでパン工房に押し掛けて、作り方を見せてもらい、焼きたてを味わうことができました。

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材料は、小麦粉・塩・オイルのみ。生地をこねてまとめます。ナポリピザの生地みたい。生地を伸ばして成型(職人技、手早い!)。

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釜の側面に貼付けて焼きます。焼時間は10分くらい?

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出来上がり。膨らんでデカい。人の顔と比べるとその大きさがわかります。焼きたては表面はカリッ、中はモチモチ~(流行りの食感だ)、小麦粉がふわっと香って絶品です。現地では2年?日持ちすると言われました。観光客が焼きたてをお土産に買う人も多いようです。(本当に2年?と何度も尋ねましたが、2年だと。違うと思います(笑))日本に持って帰ったら湿度が高いので3日で腐るそうです。

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夕食は民家で、ウズベキスタン家庭料理をいただきました。野菜料理数品と名物サマルカンド・プロフ。プロフは甘辛系で、米の上に野菜、脇にビーフが盛られています。これは美味しい♪

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家族の事、日々の生活などをお話してくれました。調度品を見るに、民家といってもこちらのご家庭は上流家庭ではないかと思います。様々な街を移動してきて思うのは、都市部と農村部の貧富の格差は非常に大きいということ。歴史に翻弄されたうえ、今は豊富な資源目当てに外資が入り込んできたこの国の抱える問題も深そうです。

 

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ウズベキスタン紀行5 シャフリサーブス〜サマルカンドへ

周遊5日目 チムールの生まれ故郷 シャフリサーブスへ

 ティムール朝の建国者チムール(1336-1405)。中世アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけて、かつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。しばしば征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行う一方、首都のサマルカンドと故郷のキシュ(現在のシャフリサブス)で建設事業を行う二面性を持ち合わせていた。(byウイキペディア)

高校生時代、世界史の授業でも、チムールは、「最強のリーダーシップを持った軍事の天才であり、残虐な暴君」と学びました。現地ガイド曰く、旧ソ連時代のチムールは「破壊者」であり英雄ではない、歴史上の評価も否定的だったが、独立後は一転して、「祖国の英雄」として再教育されたようです。

  

ウズベキスタンには3つのチムールがいます。

シャフリサーブスのチムール 立ち

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サマルカンドのチムール  座

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タシケントのチムール 騎馬 これが一番カッコいいワ♪

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伝統菓子「スマラク」

お昼も郷土料理をいただきました。ナスとトマトを炒めたラタトゥイユ風のものや、洋風肉じゃがのようなもの。東洋と西洋の食文化が混じるこの地方では、「どこかで見たことのあるような料理だけど味と予想のギャップがデカ過ぎ!」的なものが多かったです。

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これは「スマラク」というものでウズベキスタンの伝統なおやつ。小麦粉と砂糖と水を、大鍋に入れて18時間かき回しながら煮詰めるとのこと。相当体力を使いそう。通常は近所の人達が集い、交代でかき混ぜ、一晩かけて作り上げるのだそう。ご近所イベントですね。日本で言う「麦焦がし」のようなものとか。味は・・・(笑)。

 

 

アクサライ宮殿跡

チムールが残した最も壮大な建造物。現在は入り口のアーチしか残っていません。

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ドルッティロヴァット建築群

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 生まれ故郷だけあって、この街にはチムール&チムールの親族によって作られた建造物、そして一族にまつわる話が多く残っています。

 

さあ、サマルカンドへ

バスに揺られながら、牧歌的な風景を楽しみます。

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途中、民家でトイレタイム。

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トイレから出てくると、おじいさんが、「◯◯△×□○◯×△□!!」と言って青いバケツを指さしてくれました。どうも手洗い水。「その青いバケツの中の水を使いな!」と言ってるようです。下から軽く押さえると一回分の水が出てきます。「昔の日本にあった!」と昭和20年生まれの母が懐かしがっていました。お洒落~!

人懐っこい子供達と一緒にお茶タイム

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お茶菓子はレーズンと芋飴のようなものとナン。湯のみにもお菓子にもハエがひっきりなしに離発着していましたが、子供達とおしゃべりしながら(言葉はまったく通じていないが)楽しくいただきました♪

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ウズベキスタン紀行4 〜古都ブハラ〜

周遊4日目 ブハラ観光

ウズベキスタンとの時差は4時間。大した時差ではないので、お約束の「ボケ」はありません。4日目ともなると、体のリズムも現地時間にピタリと合ってきます。

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朝食に「ケフィア」登場。今まで「ケフィア」とは、コーカサス地方の粘度の低いヨーグルトだと思ってましたが、発酵過程や乳酸菌の種類が異なるようで、別物なんですね。酸味も弱くサラサラでドリンクヨーグルトみたい。これはハマりました!

 

ブハラ市内観光

本日も快晴!バスで中心部まで移動して、徒歩で世界遺産・古都ブハラを散歩です。2500年もの歴史を持つブハラは、中央アジアのみならず、イスラム世界全体の中心として繁栄した町。新市街と旧市街(遺跡が保存されている地区)にわかれています。

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撮影代金のレシート。今日は4つの観光スポットで徴収されました。ただし、実際に係員がチェックしている様子はありません。2000スム=100円。20分の1ですね。

 

シトライ・モヒ・ホサ

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月と星のように綺麗な宮殿との意味。月は王様、星は女性達。ブハラ最後の王様の離宮。ゴージャス!広い敷地内には女性達が泳がせるプールがあり、王様はその様子を眺めなら気に入った女性にリンゴを投げ、その夜の相手に・・・。ノーコンの王様はさぞ大変だったのでは・・・。宮殿内は博物館&美術館になっていました。大きい孔雀が優雅に佇む中庭はとても美しく癒されました。

 

  イスマイル・サマニ廟

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中央アジアで最古の焼レンガの建物。チンギスハンの攻撃で町が破壊された時に、土中に埋まり20世紀に発掘されました。凄い建築技術らしく世界中の建築家が注目を。壁面は朝夕の日差しで色が微妙に変るのだそう。廟の周りを3周歩くと願いがかなうとか。周りを見渡すと、イワシの大群のように一方向にクールクル。欧米の観光客も皆回ってました。私もですが。

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 ブハラは金物細工技術でも有名。まちのあちらこちらで若い職人さんによるデモンストレーションが行われていました。思わず立ち止まり見入ってしまう凄いテクニックです。

 

バラハウズ・モスク

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公園の緑の手入れ中のおじちゃん達が美味しそうなお弁当を食べていました。撮影許可もらってパチリ。(ウズベキスタンでは観光客が労働者を撮影する事はNG)。「美味しいですか?」と尋ねたら、ニコニコ笑顔で「美味しいよ」と。この国では誰に話しかけても気持ちよく答えてくれる。

 

アルク城           

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歴代のブハラ・ハンが居住していたお城。城壁の上からはブハラの街並が一望できます

ここで、現地の子供達に「おしん!」と声をかけられました。日本人=おしん。「おしん」は、ウズベキスタンで何十回も再放送されている超人気番組。おしんに涙するのは、世界共通なのです。

 

カラン・ミナレット/カラン・モスク

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 絵はがきの様な美しい景観。高さ46mのミナレットは、本来の用途である「信者に祈りをよびかける」ほか「処刑場」「見張り台」「灯台」と様々な目的に使われていました。歴代のハン(王)の残虐ぶりは生温い歴史観では理解し難い。しばらくこの場所に立って思いを巡らしていると、何か表現し難いエネルギーを感じました。栄華の宴と陰惨な拷問の光景が繰り広げられたであろう土地の記憶が、旅人にそんな感覚を抱かせるのかもしれません。

 

昼食は、街中のレストランへ。

ウズベキスタンのレストランはどこに行っても気持ちよいサービスが受けられます。チップの習慣がない国ですが、チップを渡したくなるほど、ホスピタリティに溢れています。

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料理は、いつものように野菜料理の前菜から。麺と野菜、米と野菜、ナッツ類と野菜、野菜同士の組み合わせも日本では考えられないような面白い組み合わせで色々と勉強になりました。

メインは、リンゴとじゃがいもチキンの煮込み。様々なスパイスが使われていて面白い。デザートスイーツ(右)は毎食毎食口に合いません・・。料理がおいしいのにスイーツがダメとは。先進国のパティシエがこの国に支店出したら、超人気店になると思います。

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タキ・バザール

隊商達で賑わった市場。宝石商市場・帽子市場・両替商の3つのドームがあります 。高品質のウズベキスタン絨毯は、原寸大(デカい)で展示されていました。野菜やナン(パン)の売り場も賑わっています。

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こちらは、ウズベキスタンの名品「スザニ」。スザニとは、中央アジア遊牧民に伝わる刺繍を施した布のことで、現在のウズベキスタン地域が発祥の地とされています。スザニとは「針で縫う」意味だそう。グレードが何種かありました。右は反則の可愛い売り子。

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民族楽器は面白い音がするものが多く、もう少しでお買い上げしてしまうとこでした。売っているのは本物のミュージシャン。右は割礼中の男の子がかぶる帽子です。イスラムの規律がゆるいのですが、割礼の習慣は今なお続いているそうです。

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ブハラ名産「コウノトリのはさみ」の購入は、各コンクールで受賞歴を持つサイフィッロさんの工房にて。この店は「地球の歩き方」にも掲載され、日本の高級金物屋で扱われています。もキレ味抜群。ケース付きで日本円1500円。

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ナディール・ディバンベギ・メドレセ

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17世紀に建てられたイスラム教の神学校。正面のアーチは、2羽の鳳凰と人の顔が描かれたタイル装飾がなされています。偶像崇拝禁止のイスラム教の建造物において、非常に珍しいものです。

 

中庭で夕食と民族舞踊を鑑賞。欧米の観光グループも多く満席(100席ほど)でした。シルクロードっぽいエキゾチックな音楽&ダンスは旅気分を存分に盛り上げてくれました。ファッションショーも同時に行われてました。モデルさんはスタイル抜群でキレイでしたが、なぜここでファッションショーだったのか、今なお謎が残ります。

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ウズベキスタン紀行3 ヒヴァ〜キルクジム砂漠〜ブハラへ

周遊3日目 砂漠大移動~ブハラへ

朝食

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ウズベキスタン滞在中、ホテルの朝食はビュッフェスタイルが多く、大抵、数種のパン、チーズ、ソーセージ、野菜、果物など。特に美味しかったのは、カッテージチーズとクリームチーズ。日本のスーパーで購入できる無脂肪のカッテージチーズはパサパサしてますが(乳脂肪がないからと思っていた)こちらのものは、水分がとても多くみずみずしい。またクリームチーズの方は早い段階で発酵を止めているのか、生クリーム感が残っていて、これまた美味。この2つのチーズは毎朝の楽しみになりました。

 

 ヒヴァの新市街

朝から賑わうバザール(市場)。バザールに続く道には、車やリアカーが渋滞。商品となる牛や羊も歩いています。ロバも嫌そうな顔して重い荷台を引いてがんばっています♪

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バス移動中には、頻繁に警察の検問を受けました。観光バスなどは、チェックが緩いようです。のどかな住宅街を走ること2時間。いよいよ砂漠のボコボコ道に。現在ドイツ企業と韓国企業による道路舗装工事中でした。

延々と続く砂漠を見ながら、「月の光のもと、ラクダの背に揺られる砂漠の隊商に想う・・」はずが、鋼鉄のラクダが登場し(工事車両、韓国担当地区にはヒュンダイの車両が多かった)情緒も何もあったもんじゃない。工事中の作業員は、皆のんびりと腰かけ、忙しく働いている様子もなく、車内から手を振ると笑顔で降り返してくれます。

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アムダリヤ川

中央アジアで2番目に大きな川。対岸は隣国トルクメニスタン。下流に肥沃な土壌を作ってきたアムダリヤ川の水系が変わる度に、繁栄都市が変わり、下流域には今でも1,000近くの都市遺跡が残っています。川の水は自然に蒸発していくほか、旧ソ連時代にカラクム運河が建設され、綿花計画生産のため大量の水が使用された事により、水量が激減し下流部が消滅。流入河川を失ったアラル海も縮小。

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青空トイレタイム

トイレタイムは毎度大盛りあがり。青空トイレといっても、一人でコソコソと行う、山ガールのお花摘みとは訳が違う。砂漠のド真ん中遮るものは何も無いから・・。

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バスの左側が男性、右側が女性。毎回女性6人で「連れ◯ヨ◯」です。ウズベキスタンの郊外のトイレ事情はあまり良くないうえ、基本的に有料(10円~20円)なので、断然青空の方が気持ちよく癖になりますね。姿を隠せるコブを見つけたら、すかさず横一列です。縦一列はNG(笑)。毎度「子供の頃に戻ったみたい」と大ハシャギする70代の御婦人の無邪気な笑顔が印象的でした。

 

昼食はチャイハネ(カフェ)へ。いわゆる道の駅です。簡単な軽食がとれるようですが、私達はランチボックス(野菜果物とゆで卵、パン数種、)  

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名物料理・シャシリク(牛や羊の串焼き)も注文してみました。オーダーが入ったところで、一見やる気のなさそうなおじさんが丁寧に焼いてくれます。シャシリクにはトッピングの酢たまねぎを添えて。お肉の味がしっかりしていて美味しい。

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砂地を抜けて、町に入って行きますが、降水量が少ないため表面に塩分が堆積した土地が続きます。塩で白く覆われています。このあたりの農業事情は厳しいのでしょうね。

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ブハラの市街地

欧米のアパレルメーカーのショップが目立ちますが、やはり韓国強し。サムスン、LG、ヒュンダイの看板は多いです。

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 グランド・ブハラ・ホテル到着 

本日の夕食は、前菜のサラダ、パン、マスタバ(米のスープ)、メインは「マンティ」と呼ばれる肉饅頭。細かく切った牛肉と野菜が薄い小麦粉の皮で包んだ料理。

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 3日目を終えて心と体がウズベキスタンに馴染んできました。想像していた以上に人々が温厚で優しく快適に旅を楽しんでいます。食べ物も美味しいし、今回旅先としてこの国を選んで大正解だったと確信。明日はブハラ観光。

 

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ウズベキスタン紀行2 ヒヴァへ

周遊2日目・・世界遺産都市ヒヴァ

現地ガイド曰く、ウズベキスタンを訪れる人に、一番楽しみにしている観光地はどこか?を尋ねると、ほとんどが「サマルカンド」と答えるそうです。

ところが、実際に全旅程を終わって、どこが一番心に残ったか?と質問すると「ヒヴァ」と答える人が圧倒的なのだそう。

城壁に囲まれた旧市街は異国情緒たっぷり。日中に観光する建築物も凄い迫力なのですが、感動したのは夜の光景。煌めく星空とライトアップされた街並み。ロマンチックなのだけど、かすかに感じる畏怖は、かつて奴隷市場もあったこの地に彷徨う中世の人々の念なのか・・。忘れられない光景です。

ヒヴァの歴史

ヒヴァ・ハン国は、1512年から1920年にかけて、アムダリヤの下流及び中流地域に栄えたテュルク系イスラム王朝。シャイバーニー朝、シビル・ハン国と同じくジョチ・ウルスのシバン家に属する王朝である。建国当初はクフナ・ウルゲンチ(旧ウルゲンチ)を首都としていたが、17世紀前半からヒヴァに遷都し、遷都後の首都の名前に由来する「ヒヴァ・ハン国」の名称で呼ばれる。クフナ・ウルゲンチを首都に定めていた政権は「ウルゲンチ・ハン国」と呼ばれることもある。(ウイキペディアより) 

タシケントからヒヴァへ出発

早朝6時にタシケント国内線の空港に。朝は冷えます。内陸性気候のウズベキスタンは昼と夜の温度差が激しいので、気温に合わせて脱ぎ着しやすい重ね着スタイルがおすすめ。

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 一時間ほどのフライトでウルグンチ空港に到着。荷物が出てくるのにものすごい時間がかかりました。国際線だけでなく国内線もやたらと時間がかかります。空港にはトイレが一個しかないので、これまたトイレ大行列にビビリましたが、チェックインに1時間近く時間がかかるため、行列しても問題無し。

 ここから最終日まで同行してくれたのは現地美人ガイドのS嬢。日本に留学していて卒業後の日本での就職先も決まっていましたが、就職直前に東日本大震災があり、実家の意向で半ば強制的に帰国させられたのだそう。(ウズベキスタンでは父親は絶対的な存在であり、子供は父の意見には逆らえない)。文化、価値観、家制度、宗教観など様々なことを教えてもらいました。

 

ヒヴァ旧市街に到着 

空港から30分程バスに揺られ、世界遺産の町「ヒヴァ」へ。ヒヴァは二重に城壁で囲まれた。外側(外壁)は、全長6キロ、内側(内壁)が「イチャン・カラ」と呼ばれる中世ヒヴァにそのままタイムトリップしたような場所。このイチャン・カラ全体が世界遺産都市として保存されています。

 

ヒヴァの入り口。ダシュ・ダルヴァサ門(南門)

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イチャン・カラの中にあるホテル「シャーヒリザーダホテル」にアーリーチェックイン。世界遺産の中にあるホテルです・・。入り口の扉や柱の彫刻が素敵です。

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  イスラム・ホジャ・メドレセとミナレット(ヒヴァで一番高い建物、約45m)f:id:yasuko64:20130407030857j:plain

 ウズベキスタンでは、観光地に行くと、カメラ一台につき2000スム~3000スム程度の撮影代金を払わなければなりません。この撮影代金は、この日から最終日まで一日2、3回ほど払いました。(日本円で100円~150円程度)

ミナレット内部は、118段の階段があり、登ることができます(入場料3000スム)。しかし真っ暗なので懐中電灯が必要。屋上からはヒヴァの街並を見渡すことができます。他民族に壊された都市遺跡も一望できます。

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パフラマン・マフマド廟

中庭の井戸の水を飲むと「男性は強く、女性は美しくなる」と言われ、結婚するカップルが必ず訪れるのだそう。私もガブ飲み(塩分感じました)。

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 昼食

数種の前菜、チキンスープのあとのメインデッシュはプロフ(郷土料理)。日本で言うところのピラフのような米料理です。ピラフ向きの水分を多く吸わない米に、甘めの味付けは美味。プロフも地域ごとに特色があります。

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昼食後、そのまま午後の観光に。イチャンカラ内はそんなに広くないので、道順などもすぐに覚えることができます。

 

カルタミナル

青のタイル模様で覆われた未完成のミナレット。大迫力です。このミナレットのある通りは様々な土産物屋が並んでいます。おじいちゃん人形はこの国の有名なお土産の一つ。見慣れてくると可愛い・・。結婚式シーズンなのか、今日は、結婚式の一行にも遭遇。

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クフナ・アルク内にある「アクシェイク・ババの高台」からヒヴァの町を一望。今日は遠くに砂漠も見えてます。絶景ですね♪

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 タシュ・ハウリ宮殿

青のマジョルカ焼が美しい。ハーレムがあり、王様には4人の正妻と300人の愛人がいたそう・・。すごいな、王様。

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ジュマ・モスク

木の柱が印象的。中央アジアで最も有名なモスク。太さや彫刻の違う柱が213本。天窓から差し込む光が神秘的。

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 夕食前にアラクリハン・メドレセの広場で民族舞踊を鑑賞。イスラム圏の音楽と舞踊にロシア(コサック系)ダンスの影響も受けているようでした。その後広場に隣接したレストランにて夕食。

前菜4種、スープ、とメインはシェビットオシュ(ヒバ名物)という緑黄色野菜を練り込んだうどんような食感の麺にトマトソースがかかったもの。イタリアン?風うどん。

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日中のイチャン・カラは、大勢の観光客やお土産物の売り子さん、あるいは住民達などたくさんの人で賑わっているのですが、日没後は急激に人の気配なくなり静かな町となります。夕暮れ時にのんびり散歩するのがおすすめ。治安も良く、夜歩いても問題ないらしい。民家の人々はとても気さくで穏やか。子供達がめちゃくちゃ可愛いです。

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イチャンカラ内に立地するホテルに戻りました。世界遺産に泊まるのは初めて。かつてモロッコのサハラ・オアシスの町に泊まった同様のホテルで、エアコンが効かずお湯も出ず、震える一夜を過ごしたことがあります。おそらくこちらのホテルも趣はあれど不便に違いないと覚悟していたにも関わらず、快適な部屋でした。

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ウズベキスタン紀行1 出発~タシケント

2013年4月5日から13日までウズベキスタンを周遊してきました。

いつの頃からか、旅というものは、自分がその地を選んで向かうのではなく、その地から呼ばれて必然的に向かっているのではないかと思うようになりました。なぜなら旅先で数えきれない程不思議(スピリチュアル)な経験をしてきたからです。

今回は初の中央アジア訪問。出発前に持っていたウズベキスタンのイメージは「変転の歴史を持つシルクロードの中心地」「荘厳な世界遺産イスラム建築群」「砂漠」「チムール帝国」「青の都サマルカンド」など。現地情報が乏しいだけに期待感も高まる・・・

で、ウズベキスタンはどこでしょう?ここです↓

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あっという間の9日間。様々な表情を持つエキゾチックな国で、何度も何度も遠い過去にタイムスリップしてしまったかのような不思議な感覚に。想像してた以上に素敵な国。驚きと感動に満ちた旅になりました♪

 f:id:yasuko64:20130424143316g:plainウズベキスタン基本情報

1991年に旧ソ連から独立した時に制定された国旗。青は「空と水」、白は「平和」緑は自然。新月イスラムの象徴であり、12個の星は各州。

外国の国旗はサッカーの国際試合の時に見かけるくらいの国旗ですが、今回の旅行ですっかり目に焼きつきました。

国土面積は日本の1.2倍。宗教は主にイスラム教。言語はウズベク語・ロシア語。日本との時差4時間。通貨スム。ビザ必要。主要産業・綿花生産、天然ガス、石油。

イスラム圏ですが、旧ソ連統治時代が長かったせいか、規律はびっくりするほどユルいです。首都では露出の多い服装している女性も多かったですし、レストランでお酒も飲めます。豚肉も普通に食べているそうです。そういう意味でも観光しやすい国です。

そうはいっても、ウズベキスタンに入国すれば、モスクなど様々な宗教施設に入ったり、現地の様々な民族と交流するわけですから、観光客は、異なる文化や宗教に敬意を払って節度を持って行動すべきですね。

出発

いつも海外へは、気ままな個人旅行で行く事が多いですが、今回はガイド本もほとんどなく現地情報が少ないうえ、母親同伴ということもありツアーを利用。今回の御縁あった御一行(全9名)は、シリア、イエメン、リビアアフガニスタンなど今となっては入国禁止になったイスラム国にもガンガン出入りしていた旅慣れた先輩方。おかげで旅おたく特有の共通言語が飛び交い楽しい道中となりました(類友)

 旅先としてはマイナーなイメージある国ですが、首都タシケントへは、成田から直行便が飛んでいます。2001年4月関西空港から、2002年には成田空港から就航がスタート。タシケントは、今後の日本のグローバル戦略における中央アジアコーカサス都諸国への拠点都市になっていることを確認。

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 ウズベキスタン国営航空の機体。半数以上空席だったので、一人で3シートを占領。

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 フライト時間は約9時間。飛行ルートは、日本から大陸を真横に横断していた感じ。ゴビ砂漠の砂地風景が延々と続いた後の天山山脈(これも延々と続く)は大迫力。

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現地時間午後4時(日本時間午後8時)、タシケント国際空港に到着。気温は12度程度。入国審査にとても時間がかかりました。国際線にしては殺風景な(シンプル)空港という印象。両替所も既に閉まってました。バスで本日の宿泊先(ホテル ウズベキスタン)に移動です。

ウズベキスタンのホテルは比較的廉価です。どこの街も良いお部屋で快適でした。

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 ホテルにチェックインして、まずはドルから現地通貨スムに両替。

現地通貨1スムは0.024円・・ん??。とりあえず手持ちの20ドル替えて44000スム(札束)に。一気にお金持ちになった気分ですが、いまいち金銭感覚が掴めないので、ざっくりと1ドル=日本円100円=2000スム(ざっくりすぎ・)というマイルールを導入(-_-;) 

 

夕食は、宿泊ホテル内レストランで初ウズベキスタン料理(食文化については後ほど)

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ホテルやレストランなどのビールは、大体7000スム・・高いのか安いのか。ビールは左からアルコール度数が違う。5%、6%、8%、9%など。同じ銘柄で度数が違う4種類見たのは初めて。

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旅行中の食事は、大抵数種類の野菜料理の前菜、スープ、メイン、デザートのセットパターン。しかし、ここで恐ろしい情報が・・・

オリーブオイルソムリエ資格を持つ私は、オイル情報には敏感だ(-_-;)。

ウズベキスタン料理を食べ過ぎるとほとんどの日本人はお腹を壊すそう。これは、ウズベク料理は、「綿花」から採れる「綿実油」というオイルを大量に使っており、このオイルを消化する酵素を日本人が持ち合わせてないため。

綿花栽培はこの国の主要産業の一つであり、無味無臭で使い易い綿実油はとにかく安く手に入るので全国どこでも使われていますが、日本人には合わないオイルなのです。

たくさんの野菜やお肉中心の料理は、味付けがとても日本人の口にあっていて、本当に美味しい。しかしこの後の旅程でも現地ガイドが「食べ過ぎると必ず大変な事になる」と食事の度に脅してくれたおかげで、最終日の食事まで気が抜けなかった(ウズベク旅行には正露丸はマストですぞ)

※後日、精製された綿実油は、日本国内で上質なオイルとして、高級ツナ缶などに使われているという情報もいただきましたので、ウズベクの綿実油と日本国内で出回っているものは違うのかもしれません。

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 夕食時、ホテルレストランから、タシケントの街並み♪

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